2008年03月14日 (金) | 編集 |
どれがいい?
私がきいたら妹は、眉間にしわを寄せて、うーん、と唸った。
難しい顔をしながら、桐の箪笥の引き出にしまわれていた着物を広げてみている。なかなか決まらないようだ。
丈は足りると思うから好きなの、選びなよ。着せたげる。
私の箪笥の引き出しには、少しずつ集めたアンティークの着物が詰まっている。
「詰まっている」というのは正しい表現で、桐の薄い引き出しには一段に4枚くらいの着物がぎゅっと、しまってあるのだ。
この桐の箪笥は、私がようやっと着物を着れるようになったころ、着物をしまうのにどうしても白い桐の箪笥が欲しくて、自分で奮発して買ったものだ。初めは着物もあまり持っていなかったので、中に着物があるというだけで幸せだった。
けれど着物の数が増えるにつれて、この桐の箪笥だけでは間に合わなくなってしまった。
そこで普段着の銘仙やお召しは別の箪笥に。ウールは衣装缶の中に。
などとしているうちに桐の箪笥は、特別気に入っている着物だけをしまう場所になった。
薄青の着物は大きな蝶の模様と、黄色のはっかけが気に入っている。
真っ赤な絞りの着物。赤の矢羽に花篭のアンティーク。淡い緑に梅柄の着物。
黒地に細かい花模様の小紋は、胴裏が鮮やかな紅絹。
難しい顔をしていた妹が、これがいい、と指差したのは、薄紫の地に、流水に浮かぶ桜の花の着物だった。
やっぱりあんたはこれ、選ぶと思った。桜、好きだもんね?
私が笑うと、妹は秘密がばれたときのようなちょっと罰の悪そうな顔をして、こっくり頷いた。
妹が「お太鼓」は厭だ、というので、薄紫の着物にあわせて、淡いピンク色の半幅帯を文庫結びすることにした。
しかし着物を着付けてみると、裄も丈も少し足りない。おはしょりは短く、袖口からは細い手首がのぞいた。
あの小さかったのが、私の背を追い越すなんて。と、私はちょっと吃驚した。
妹に着物を着せた後、私も着物に着替えた。私は橙色に梅模様の着物に、白地に一輪咲く椿の柄の名古屋帯でお太鼓を結んだ。そして、二人で近所の小さなお蕎麦屋にお昼を食べに出掛けた。
妹と向かい合って食事をするのは、久しぶりな気がする。
私はきつね、妹はやまかけ蕎麦を食べた。
蕎麦をすすっていたら、耳にかけていた髪の毛が、ばさっと顔にかかった。まとめようにも躊躇半端な長さの髪を私は巧くまとめきれない。
すると妹が、ポーチからヘアピンを取り出し、器用に私の髪をまとめてくれた。
器用だねぇ。
私が言うと、妹は誇らしげな顔をした。
お蕎麦屋の窓から見える、気難しげな梅の木が、花をいっぱいにつけていた。
帰り道、薄曇りの空の下を、妹と歩いた。
雨が降りそうだね、なんてどうだっていいことを話しながら。
梅が散って、そして桜が咲く頃には、もう隣に妹はいないのだろう。
妹は早足で先を行く。軽快にからん、ころん、と下駄がなる。
私は梅を眺めながら、曇り空を振り仰ぐ。そしてゆっくり妹の後を歩いていく。

私がきいたら妹は、眉間にしわを寄せて、うーん、と唸った。
難しい顔をしながら、桐の箪笥の引き出にしまわれていた着物を広げてみている。なかなか決まらないようだ。
丈は足りると思うから好きなの、選びなよ。着せたげる。
私の箪笥の引き出しには、少しずつ集めたアンティークの着物が詰まっている。
「詰まっている」というのは正しい表現で、桐の薄い引き出しには一段に4枚くらいの着物がぎゅっと、しまってあるのだ。
この桐の箪笥は、私がようやっと着物を着れるようになったころ、着物をしまうのにどうしても白い桐の箪笥が欲しくて、自分で奮発して買ったものだ。初めは着物もあまり持っていなかったので、中に着物があるというだけで幸せだった。
けれど着物の数が増えるにつれて、この桐の箪笥だけでは間に合わなくなってしまった。
そこで普段着の銘仙やお召しは別の箪笥に。ウールは衣装缶の中に。
などとしているうちに桐の箪笥は、特別気に入っている着物だけをしまう場所になった。
薄青の着物は大きな蝶の模様と、黄色のはっかけが気に入っている。
真っ赤な絞りの着物。赤の矢羽に花篭のアンティーク。淡い緑に梅柄の着物。
黒地に細かい花模様の小紋は、胴裏が鮮やかな紅絹。
難しい顔をしていた妹が、これがいい、と指差したのは、薄紫の地に、流水に浮かぶ桜の花の着物だった。
やっぱりあんたはこれ、選ぶと思った。桜、好きだもんね?
私が笑うと、妹は秘密がばれたときのようなちょっと罰の悪そうな顔をして、こっくり頷いた。
妹が「お太鼓」は厭だ、というので、薄紫の着物にあわせて、淡いピンク色の半幅帯を文庫結びすることにした。
しかし着物を着付けてみると、裄も丈も少し足りない。おはしょりは短く、袖口からは細い手首がのぞいた。
あの小さかったのが、私の背を追い越すなんて。と、私はちょっと吃驚した。
妹に着物を着せた後、私も着物に着替えた。私は橙色に梅模様の着物に、白地に一輪咲く椿の柄の名古屋帯でお太鼓を結んだ。そして、二人で近所の小さなお蕎麦屋にお昼を食べに出掛けた。
妹と向かい合って食事をするのは、久しぶりな気がする。
私はきつね、妹はやまかけ蕎麦を食べた。
蕎麦をすすっていたら、耳にかけていた髪の毛が、ばさっと顔にかかった。まとめようにも躊躇半端な長さの髪を私は巧くまとめきれない。
すると妹が、ポーチからヘアピンを取り出し、器用に私の髪をまとめてくれた。
器用だねぇ。
私が言うと、妹は誇らしげな顔をした。
お蕎麦屋の窓から見える、気難しげな梅の木が、花をいっぱいにつけていた。
帰り道、薄曇りの空の下を、妹と歩いた。
雨が降りそうだね、なんてどうだっていいことを話しながら。
梅が散って、そして桜が咲く頃には、もう隣に妹はいないのだろう。
妹は早足で先を行く。軽快にからん、ころん、と下駄がなる。
私は梅を眺めながら、曇り空を振り仰ぐ。そしてゆっくり妹の後を歩いていく。

2008年01月05日 (土) | 編集 |
アゲハ蝶だ。
そう幼い私の目に写ったのは、黒い着物を肩から羽織った姉の姿だった。
それは不思議な光景だった。黒い羽を纏う姉の、白い腕を細い腰を、白い紐がするすると蛇のように巻き付いて、姉を蝶に変えていく。
蛇が蝶を産むんだ。
私はじっとそれを、息を止めて見つめていた。少しでも声を出そうものなら、姉が飛び去ってしまう気がして。
春先の、まだ冷たい風がふうっと部屋を通り過ぎた。そのとき、着物の裾が、ふうわりと広がり、ちらりと朱がのぞいた。
鏡に向かっていた姉が、こちらを向いて微笑む。その唇は、着物の裾と同じ朱だった。
姉は私を手招きして、ちょっと髪をすいてくれない、と私の手に、つげの櫛を持たせた。
姉の髪をすくのは、私の仕事だった。姉の髪は少しも櫛をとおす必要がないほどいつも美しかったが、必ず姉は言うのだ。髪をすいてくれない、と。
私が姉の髪をすいているとき、姉は小さな声でいつも歌を口ずさんでいた。たいていそれは私には分からない、どこか遠い国の歌だった。
私が、きれいになったよ、と姉に櫛を返すと、姉は櫛を、ステンドグラスの小箱にそっとしまう。そして代わりに、キャラメルを一粒私の手に握らせて、また微笑んだ。
その小箱は、姉が特別大事にしているもの、カメオのブローチや、古い珊瑚の帯留め、小さな香水壜などがしまってあって、そしてなぜかいつも、一粒だけハートの形をしたキャラメルが入っていた。
包み紙を開けて、キャラメルをほおばる私の姿を、姉はじっと見ていた。
アゲハ蝶はもういない。
青虫がさなぎになって、蝶になって、そして姉はある日黒いその羽を捨てて、白い角隠しを纏って遠くへ行った。
あの小箱を、姉は置いていった。その中にもうキャラメルはなく、つげの櫛だけが残されていた。
鏡の前に立ち、私は姉の抜け殻の、黒い着物を羽織ってみる。
私もいつか、この羽を捨てていくのだろうか。
春の風が、ふうわり裾を揺らした。
そう幼い私の目に写ったのは、黒い着物を肩から羽織った姉の姿だった。
それは不思議な光景だった。黒い羽を纏う姉の、白い腕を細い腰を、白い紐がするすると蛇のように巻き付いて、姉を蝶に変えていく。
蛇が蝶を産むんだ。
私はじっとそれを、息を止めて見つめていた。少しでも声を出そうものなら、姉が飛び去ってしまう気がして。
春先の、まだ冷たい風がふうっと部屋を通り過ぎた。そのとき、着物の裾が、ふうわりと広がり、ちらりと朱がのぞいた。
鏡に向かっていた姉が、こちらを向いて微笑む。その唇は、着物の裾と同じ朱だった。
姉は私を手招きして、ちょっと髪をすいてくれない、と私の手に、つげの櫛を持たせた。
姉の髪をすくのは、私の仕事だった。姉の髪は少しも櫛をとおす必要がないほどいつも美しかったが、必ず姉は言うのだ。髪をすいてくれない、と。
私が姉の髪をすいているとき、姉は小さな声でいつも歌を口ずさんでいた。たいていそれは私には分からない、どこか遠い国の歌だった。
私が、きれいになったよ、と姉に櫛を返すと、姉は櫛を、ステンドグラスの小箱にそっとしまう。そして代わりに、キャラメルを一粒私の手に握らせて、また微笑んだ。
その小箱は、姉が特別大事にしているもの、カメオのブローチや、古い珊瑚の帯留め、小さな香水壜などがしまってあって、そしてなぜかいつも、一粒だけハートの形をしたキャラメルが入っていた。
包み紙を開けて、キャラメルをほおばる私の姿を、姉はじっと見ていた。
アゲハ蝶はもういない。
青虫がさなぎになって、蝶になって、そして姉はある日黒いその羽を捨てて、白い角隠しを纏って遠くへ行った。
あの小箱を、姉は置いていった。その中にもうキャラメルはなく、つげの櫛だけが残されていた。
鏡の前に立ち、私は姉の抜け殻の、黒い着物を羽織ってみる。
私もいつか、この羽を捨てていくのだろうか。
春の風が、ふうわり裾を揺らした。
2007年12月13日 (木) | 編集 |
爪先の痛みで目が覚めた。
ゆっくりまばたきしたが辺りはぼうっと暗く、ほとんど何も見えない。まだ夜明け前なのだ。枕元においてある時計の針は、5時と5分を指していた。
もう少しゆっくり眠っておきたかったのに。
私は、冬になるとよくこうして、冷えた爪先が痛んで目が覚めてしまう。
厚い掛け布団の中にもぐりこんで、丸くなり、ぎゅうっと手のひらで足先を揉む。冷え切った爪先がじんじんした。
それにしても今日はずいぶんと冷える。
体を起こして窓のカーテンをそっとめくってみると、ほの暗い空から、ニワトリの羽のような雪がひらひら降っていた。
寒いはずだ。
雪はすべての音を飲み込んで黙らせていた。だから私も黙って、しばらくそれを見ていた。
今年、初めての雪。
ああ、初雪だ。
昔の映画のようなモノクロームの景色。ぼんやり見つめながら、私は思った。
あの着物、今日着よう。橙色に、梅柄の、まだ袖を通していないやつ。
ああ、でも昨日縫いつけた半衿の色があわない。付け替えよう。たしか鳥の子色の半衿があったはずだ。
枕元の明かりをつける。そして起き上がって、しんと冷えた部屋の隅のストーブに火をつけた。辺りがぼんやり黄色くなった。私は、部屋が温まるのを、布団に包まって待つ。
私は裁縫が得意ではない。半衿をきれいにつけようとなると、小一時間はかかってしまう。
そうしたら、着物を着あがるのは小学生の登校時間くらいになるだろう。
小さな男の子たちが家の前の道を歩いていくのが窓から見える。きっと今日は騒がしい。
雪が降っている。
うれしそうにみんな雪玉を投げあうだろう。
新しい着物を着て、蜂蜜をたっぷり入れたアッサムを飲みながら、部屋の窓ごしに私はそれを見るのだ。
部屋が温まってきた。私は起きだして、襦袢を広げ半衿付けにとりかかる。裁縫箱を手元に引き寄せ、小さな針穴に糸を通した。
ゆっくりまばたきしたが辺りはぼうっと暗く、ほとんど何も見えない。まだ夜明け前なのだ。枕元においてある時計の針は、5時と5分を指していた。
もう少しゆっくり眠っておきたかったのに。
私は、冬になるとよくこうして、冷えた爪先が痛んで目が覚めてしまう。
厚い掛け布団の中にもぐりこんで、丸くなり、ぎゅうっと手のひらで足先を揉む。冷え切った爪先がじんじんした。
それにしても今日はずいぶんと冷える。
体を起こして窓のカーテンをそっとめくってみると、ほの暗い空から、ニワトリの羽のような雪がひらひら降っていた。
寒いはずだ。
雪はすべての音を飲み込んで黙らせていた。だから私も黙って、しばらくそれを見ていた。
今年、初めての雪。
ああ、初雪だ。
昔の映画のようなモノクロームの景色。ぼんやり見つめながら、私は思った。
あの着物、今日着よう。橙色に、梅柄の、まだ袖を通していないやつ。
ああ、でも昨日縫いつけた半衿の色があわない。付け替えよう。たしか鳥の子色の半衿があったはずだ。
枕元の明かりをつける。そして起き上がって、しんと冷えた部屋の隅のストーブに火をつけた。辺りがぼんやり黄色くなった。私は、部屋が温まるのを、布団に包まって待つ。
私は裁縫が得意ではない。半衿をきれいにつけようとなると、小一時間はかかってしまう。
そうしたら、着物を着あがるのは小学生の登校時間くらいになるだろう。
小さな男の子たちが家の前の道を歩いていくのが窓から見える。きっと今日は騒がしい。
雪が降っている。
うれしそうにみんな雪玉を投げあうだろう。
新しい着物を着て、蜂蜜をたっぷり入れたアッサムを飲みながら、部屋の窓ごしに私はそれを見るのだ。
部屋が温まってきた。私は起きだして、襦袢を広げ半衿付けにとりかかる。裁縫箱を手元に引き寄せ、小さな針穴に糸を通した。
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